葬送儀礼と癒し 5/6
第4章 結び:葬送儀礼の意味の再構築へ
以上、葬儀が癒しの力を持っていることを述べた。DSM-Ⅳでは家族や愛する人が亡くなった後、2ヶ月は死別反応の時期とされている。注8. このようなことからも喪に服す時間は悲嘆、嘆き、悲しみを克服するための時であるとも言える。そして、葬儀には癒しの要素が求められるだろう。
以上のような点からすれば、直葬に癒しを可能とする要素が備わっているかどうかは甚だ疑問である。すべての直葬を一律に見なすことはしないとしても、癒しの可能性は希薄であると言えよう。現代では島田(2010)による積極的な葬儀不要論や同じく島田(2011)による墓不要論も存在する。その理由として費用が高額でありすぎる点のみが力説されるが、葬儀全体を不要と切り捨てるのはいかがなものかと思う。
仮に経済的理由から直葬が選択される際にも、せめて宗教者が立ち会う努力があっても良いと思う。仏教者においては読経、キリスト者においては祈りや聖書の言葉が短く付け加えられて良いかと思う。そして、可能な限り直葬においても儀礼部分を付加する提案や努力が宗教者の側からなされても良いだろう。
葬儀離れが進むのは、わからない読経や作法が一因しているのではないかと思う。葬儀においては、読経を聴く時間の中で故人を偲び、これまで述べたような意味で心理変容を経て故人と何らかの形でつながれる時でありたい。
ここで、本稿の結論を再確認したい。葬儀において達成されるべき本質的な目的は癒し(心理変容)である。それは省略されてはならない。仮に、直葬が葬儀の脱構築であるとすれば、葬儀は癒しと心理変容を踏まえて再構築へと向けられるべきである。外形的に何が変わろうとも、その意義は失われてはならない。