葬送儀礼と癒し  2/6

堀 剛

第1章 葬送儀礼に必要なものとは何か(2/6)

葬送儀礼に本質的に備わっているべき要素をいくつかあげるとすれば、次のような点が考えられる。

(a)遺体処理を行うこと

(b)死に行く人と見送る側の癒し

(c)死者となった者への鎮魂

遺体処理を行うこと(a)は葬儀においてもっとも必須とされる事柄である。10万年から2万5千年前頃までの間に生息したネアンデルタール人の遺骨と共に動物の骨が見つかっている(岸本 1965)。この時代においても、既に葬りには動物が供え物として置かれていたことがわかる。葬送が単なる遺体処理ではなく、人々が死者の霊魂の存在を意識していたがゆえに供え物が供えられたと理解することができる。これは宗教の発祥として見ることもできる。また、葬りは遺体の処理にとどまらず、供え物を供えるという儀式性を持っていたと考えられる。

こう考えると、現代の直葬は儀式を省略するのであるから、人類の原初的な慣行を省略しているということになる。病院において死後の処置がなされ、法的な手続きを経たのち火葬のみが行われる。そこには儀式的な事柄は入りこまない。また、直葬では僧侶も牧師も立ち会わないので、嘆き悲しむ人がそこにいようとも、遺体の処理のみを行うことになる。注.1

次に、死に行く人と見送る側の癒し(b)は、生者と死者の両者にかかわっている。死に行く側にとって自分の葬儀をあらかじめ準備することは心の安定につながると思われる。終活の一つとして自分の墓石を準備することなどは従来よりなされて来たが、自分の葬儀を自分でアレンジすることは心の備えを深めることにつながるようである。また、見送る側にとって葬儀は死者のために捧げる時間であり、参列者の意識は死者に向けられることにより、見送る側自身の慰めの時間となる。そのような儀式の中に様々な癒しの要素が秘めていると考えられる。

<4p>死者となった者への鎮魂(c)については、死者の意識を観察できない限り、死者の側からこれを論じることは想像の域に止まることしかできない。たとえば、死後の霊的世界や霊魂が存在すると仮定することによってのみ、仮定の範囲でこれを論じることができる。よって、(c)が客観的意義を有するのは、見送る側において生起することがらである。鎮魂の行為は見送る側自らに癒しとして帰ってくると言えよう。

これら葬送のもたらす意味を踏まえつつ、直葬について考えるならば、直葬が(a)(b)(c)の要素をどこまで有するのかを問うことになる。遺体を処理することのみの直葬あるいは葬送であっても、癒しをもたらすかという点をあえて考察しておかねばならないだろう。直葬であろうとも心を込めて行われたとすれば、それでよしとすべきなのか、あるいは、何か足らないとすれば、それは何なのかを考える必要があるだろう。