オーディオとイメージ療法 1 堀 剛
最近のオーディオはすでにCDも終わりつつあるようだ。デジタル化とインターネットダウンロードによって、とても便利になった。私も車に音楽データを持ち込んで聴いている。
ある日、ジャズを聴きながら、ふと、「原音追求」という言葉を思い出した。これはCDすら存在しなかったふた昔くらい前の話である。いわゆるLPレコード時代のことである。
「原音追求」という言葉が、オーディオ機器メーカーによって大まじめに唱えられていた。この目標をかかげ、オーディオの頂点は「原音」であり、どこまでそれに近づけるかということにオーディオの価値があるかのように考えられていた。(いまでもそのように考えているとしたら、ごめんなさい!)
私は音楽を聴くのはほとんど車の中である。車の中は自分空間でしかないから、安全な運転さえ出来ていれば、以外と音楽を楽しめる時間でもある。
だが、車の中でのオーディオは、「原音追求」とはかなりかけ離れたている。たとえば、普通車セダンでしかない私の車に、まさか実際の演奏現場ほどの音量はありえないだろうし、「原音」とされる音質がなければ本当に満足がいかないのかと言えば、そんなことはまったくない。重要なのは、車の中という限定された空間でも音楽を楽しめるかどうかということでしかない。
ところで、私が時々催眠の中で使用するテクニックのひとつとして、毛布の固まりを人に見立ててしっかりと抱いてもらうというものがある。これは年齢退行などで、対面した家族などをしっかりと抱きしめたり、あるいは抱きしめられている感覚を味わってもらうために行うものである。
ある女性セラピストはクライアントを本当に抱っこして慰めるという話を本に書いておられたりするが、男性の私が男性を抱きしめるのはごめん被りたいし、男性である私が女性にそんなことなど出来ないのは言うまでもない。だから、膝掛けに使ってもらっている毛布を丸く束ねて、クライアントにそれを抱いてもらうのである。
これは座布団でも良いし、あるいはぬいぐるみでも良いだろう。でも、目を開けるとパンダでしたでは興醒めするかもしれないので、手近な毛布を使うのだ。いわば抱き枕の要領である。