人間の進化って? 堀 剛
まだ世の中に電気がなかった時代の生活というのは、どんなものだろうと想像してみた。夜になれば、ロウソクやランプの灯があるだけで、もちろんテレビもラジオもない。キャンプで山にテントを張ったようなものだろう。ひたすら静けさに包まれ、自分を見つめ直すこともできただろう。
そんな時代の人々には、夜になるとじっくりと自分に向き合う時間が訪れたのかも知れない。それがいやなら、あとはせいぜい寝るだけしか手がない。だから、いやでも、静かな時間の中で自分を見つめたり、自分の心と対話するようなことが出来たかも知れない。
フォーカシングという自分の身体に意識を向けて、身体が自分に何を語ろうとしているのかを感じ取るという技法がある。自分の身体の感じをフェルトセンスと呼ぶ。これなどは遠い機械文明以前の人間にとっては、とても自然な感じで行えていたのではないかと思う。
静かに何かを考えるというのは、現代人にはなじまないことになっているのだと思う。いわばフェルトセンスをかき消したり、無視したりすることで、何とか自分を叱咤激励するしか手がないような状態に人は少なからず追いやられてしまう。
これが進化というようなものではない。機械文明の中に身をさらして、その進化と共に、当の人間は退化していると言わねばならない。