セラピーの目指すもの 堀 剛

クライアントにとっては、セラピーの回数は少ないほど、良いと言えば、良いにきまっています。でも、どうしても回数が必要となるケースも存在します。

セラピーはどうあるべきかと考えていると、ふと、大阪で昔お世話になった鍼灸師の先生のことを思い出しました。それは、もう15年も前でした。

私は当時月一度くらい鍼治療を受けていました。いまでは必要ないのですが、それはまだ、催眠を覚える前のことです。その時の鍼灸の先生は、次のようなことを言っておられました。

「鍼は太くて深いものを刺せば刺すほど、その場は治ったように思うかも知れません。でも、そのやり方はどんどん癖になってしまいます。たとえば、スポーツ選手を治療して、とにかく次の試合へ痛み無く出場できるようにするというような治療では、どうしてもその場のことだけを考えざるを得ないような治療となります。でも、あなたにはそのような治療の癖をつけて欲しくないのです。」このように語りながら、マッサージを併用してもらったのを思い出します。

セラピーの大事な点は、そのセラピーを受け続けていなければ、元気に生きて行くことが出来ないかのような治療構造を作り出さないことだと思います。たとえば、特別な技能を持ち合わせるセラピストが仮にいたとしても、けっして、自分のところへ来てさえいれば、あるいは、来続けていれば健康を維持できるというような治療構造を持ち出すとすれば、それはセラピーの本質からはずれていると思います。

「丈夫な人に医者はいらない」という言葉がありますが、医者は医者を必要としない人を作り出すのが仕事です。同じく、セラピストはセラピストが不要になる人を作り出す、あるいはセラピーが無くても生きていける人を増やすのを仕事としていると思います。

通常は問題が起こってからセラピーが始まるものですが、むしろ、セラピーにおいて予防のためのリラクゼーションをクライアントに指導させていただくことも必要かと思うのです。予防医学というものがあるように、セラピーが不要となるような予防的なセラピーも行う必要があるでしょう。セラピーが不要となるのがゴールだという意識は、どこかにしっかり持つべきだと思うのです。

目次へ 次 →