カエルの祈り 堀 剛

 カトリックのアントニー・デ・メロ神父著「東洋の瞑想とキリスト者の祈り」を読むと、瞑想の方法がたくさん紹介されていますが、それらはどう見ても深呼吸などを上手く使った催眠的瞑想という感じです。そのような催眠的瞑想についても今後紹介させていただきたいと思いますが、今日は、そのアントニー・デ・メロ神父のとてもおもしろい短編集の中からひとつだけご紹介させていただきます。

   「カエルの祈り」

ある夜、兄弟ブルーノが祈っていると、食用ガエルの鳴き声がうるさくてかなわない。気にすまい。無視しようと務めたが、気の散るのはどうにもならない。 そこで彼は窓から顔を出して叫んだ。

「静かにしろ、祈っているんだから。」

兄弟ブルーノは聖者の誉れが高かったので、彼が一喝するや、あたりはしんと静まり返った。生けるものはすべて固有の声を持っており、その声が祈りに具合のよい沈黙を生み出すのである。

祈っているブルーノのなかに別の響きがわき起こってきた。

「もしかして神はお前の唱える祈りと同じくらい、カエルの鳴き声を喜んでおられるのではないか。」

「カエルの鳴き声がなんで神をよろこばせるんだ」と、ブルーノは心中冷ややかに答えた。ブルーノのなかにさらに響き続ける声が言う。

「神がなぜ、音なるものをつくり出したと思うか。」

「よし、その答えを見つけだしてやろう。」ブルーノは窓から身を乗り出して叫んだ。

「さあ、歌うんだ。」

食用ガエルの調子の揃った鳴き声は、近隣のカエルというカエルの声を呼び集め、天空を震わせた。

ブルーノがこの音を全身を耳にして聴いていると、カエルの鳴き声は神経に障る物音ではなくなってきた。鳴き声に抗うことをやめると、この鳴き声こそが夜の沈黙をいっそう豊にしていると気づいたのである。

こうしてブルーノの心は、生まれて初めて宇宙と調和した。

彼は祈るということの内実をとらえた。

                   

    (「蛙の祈り 」アントニー・デ・メロ、女子パウロ会)

何ともユニークな短編でしょう。いったい何を言いたいのだろうと首を傾げてしまう方もおられるかも知れません。禅で言えば公案(禅問答の問い)に近いのかもしれませんが、こちらはそれほどわかりにくいとは思えません。解釈も色々あっても良いのだろうと思います。

鳴り響くカエルの声の中で、なお自分の静寂を見失わないこと。これは「偽」だらけの世間の中でも求められているのだと思います。あるいは、個々人の人生のどんな状況においても、鳴き声に抗うのでなく、鳴き声の中にも静寂を見出して行きたいと思う次第です。人生には何があってもすべて意味があるということはよく言われることですが、そうだとすれば、私たちは「偽」によってどんな揺さぶりをかけられている時にも、そこに静寂と必然、そして深い安堵感を見出しうると思うのですが・・・。

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