「らしさ」を求めて 堀 剛

ジャズのトランペット奏者マイルス・デイビスは、ジュリアード音楽院の学生であった。二〇歳に満たない頃、マンハッタンでステージに上がった。しかし、彼のトランペットは音量がなく、低い音が聞こえないとの酷評をだった。一緒に演奏するのを嫌って、降りるというミュージシャンも出たらしい。

マイルスは音量を出せずに行き詰まった。そして、退学を決意して父を訪ねた。マイルスの学費を支えていた歯科医の父は穏やかに語った。「マイルス、窓の外の鳥を知っているか。モッキンバードという鳥だ。他の鳥の鳴き声をまねるのは上手い。しかし、おまえはそのようなものになってはいけない。おまえだけのサウンドを身につけるのだ。」と。

父の言葉はマイルスを再起させた。以後、プロへの道へ入り、チャーリー・パーカー・バンドの正式メンバーとなる。そして、「みんな早く弾くことばかり考えているが、自分はコードの中の重要な音を大切にしたい」と考えた。35歳で他界したフレディ・ウエブスターの影響も受けた。フレディは音に間をつけるような演奏をする。その独自の奏法にマイルスは影響された。だが、ただのコピーを目指すことはなかった。

やがて、マイルスはトランペットにミュートという音を抑える器具をつけるようになった。唇の力が弱く音量をかせげない。その上、ミュートを使った。音量ではなく音色にこだわった結果である。ミュートを叩いて変形させ、音色を探し続けた。そして、できあがった音色に、人は「卵の殻の上を歩くような繊細な音」と評した。マイルスは自らの弱点を逆手に、誰も真似の出来ない音色を生み出した。その録音は1945年11月作成「チャーリー・パーカー ストーリー」に収められている。

人は変わることを恐れてはならない。変わり続けなければ、前が開けない時だってある。立ち止まらず、自分らしさを見つけ、進むべき時がある。自分らしさを実現することは困難がつきまとう。それを貫くことは並大抵ではない。あの不思議な空間を作り出すマイルスのサウンドは、たいへんな努力の結果だと知ると、自分が自分らしくなり続けるのは楽なことではないと改めて感じさせられる。

(小川隆夫著『マイルス・デイヴィスが語ったすべてのこと——マイルス・スピークス』参照)

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